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芸術家:右甚五郎(みぎりじんごろう) |
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海と山と川に恵まれた町、播州赤穂。
そして、忠臣蔵で全国的に有名な播州赤穂に小粋な和食の料理屋がある。
瀬戸内で獲れた旬な魚料理を中心に出してくれる料理茶屋「生島」と言うお店だが・・・。
お店に着いたと同時に駐車場の作りに驚くに違いない。
単純に店舗駐車場を思えば平たく駐車しやすいのがベストである。と思うのが一般的である。ところが、料理茶屋_生島の駐車場をひと言で言えば凸凹。こう言ってしまえば悪いイメージがあるかもしれないが、駐車場を含めた店舗全体の作りはお洒落そのもの。
味のある店構えとなっている。
料理茶屋「生島」の大将は料理人である前に芸術家としての才能を兼ね備えており、大将自身のセンスの良さがお店の外観を見ただけで一目瞭然。
店舗内も、大将のこだわりが充分伝わり、嫌味のない贅沢さを味わうことができる。
この大将が作る料理が芸術的なものであることは言うまでもない。
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☆10sio.boy.jp(天ちゃんねっと放送)
--赤穂グルメ紹介より-- |
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| 最 新 作 |
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| 蘭陵王の面 |
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| いちょうの木 一刀彫 |
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| みぎり甚五郎 作 |
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| 赤穂義士 |
| 大石内蔵助 (三代目) |
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| 口上書を書いている内蔵助 |
| 大石内蔵助が吉良邸討ち入りの際に |
| 「本日、四十七人が夜分遅くお邪魔しましたのは、 |
| かくかくしかじかですよ」と、大義名分を書いた文のことを |
| 口上書という。 |
| 吉良邸の玄関前に竹に刺した口上書を立てる場面が |
| 有名である。 |
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| 料理茶屋生島の座敷童 |
| けやきの芯の一刀彫 |
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| お客様に「赤穂義士とは何ぞや」と聞かれます。 |
| 店主 みぎり甚五郎が答えます。 |
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| 人の華 |
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| 散れど心に |
| 残る花 |
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| 赤穂義士 (忠臣蔵) |
| 大石内蔵助 (二代目) |
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| 播州赤穂見納めの姿 |
| 長崎へ旅立ちました |
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| いちょうの木の一刀彫 |
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赤穂義士 (忠臣蔵) |
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大石内蔵助 |
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| 播州赤穂見納めの姿 (初代) |
| これより皆の待つ京都山科に向かう |
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けやきの芯 一刀彫 |
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みぎり甚五郎 彫刻人生30年の渾身の作 |
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江戸に嫁に行きました |
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三 猿 |
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樫の木の彫刻作品 |
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日光東照宮の左甚五郎の作品を見て、一番弟子のみぎり甚五郎がアレンジして作った作品です |
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書は、大石内蔵助の辞世の句 |
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あら楽しや想ひハ
晴るる
身ハすつる
うきよの
月にかかる雲なし |
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| よ三蛙 三猿のカエルバージョンです |
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| 龍国日本 日本列島を龍に見立てた作品です |
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現在はアース製薬(株)の応接間にあります

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| 魚百選 |
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右甚五郎(みぎりじんごろう)プロフィール |
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出身: |
兵庫県 |
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年齢: |
1957年生 |
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性別: |
♂ |
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作品: |
彫刻・日本画等 |
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- 伝説の彫刻職人・左甚五郎が「甚五郎を継げ」と、枕元に現れたのが、右甚五郎が30歳の時。
- お告げを聞いた甚五郎は、翌日から彫刻を始めたが、彫刻素人と思えない芸術(彫刻等)作品を創作。
- 左利きの左甚五郎に対し、右利きの甚五郎が、ここに誕生した。
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migirijingoro.jp(右甚五郎作品集part1)YouTube配信 |
■右甚五郎作品集
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のぼり鯉 |
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七福神 |
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横山社長のゴルフスイング |
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(料理茶屋生島展示作品) |
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まねき猫 |
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花立受皿 |
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床間の枠 |
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大皿(花の吹寄せ彫り) |
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五猿 |
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三猿 |
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両面ききょう透彫り |
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乱間(牡丹花見立て) |
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書 |
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■作品紹介 |
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大皿:台は山桃の木
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| 作 品 |
ジャンル |
展示(場所) |
素 材 |
備 考 |
| 夫婦(めおと)昇り鯉 |
彫刻 |
赤穂化成株式会社
(第1応接室) |
杉 |
台座(さわら) |

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| 作 品 |
ジャンル |
展示(場所) |
素 材 |
備 考 |
開業50周年記念
(横山社長のゴルフスイング姿) |
彫刻 |
横山サポートテック |
黒檀 |
キャディは、太郎ボンと愛犬プー
ボールは、あほう鳥の口の中 |
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| 作 品 |
ジャンル |
展示(場所) |
素 材 |
備 考 |
| 七福神 |
彫刻 |
金海興業事務所 |
檜(100年もの)
実を言うと・・・
床柱 |
備前焼人間国宝の作品を抜粋 |
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■桔梗(ききょう)
両面透彫り |
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| ■命名「右 甚五郎」 |
- 左 甚五郎(ひだり じんごろう)は江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人で、落語や講談で有名である。左甚五郎作と伝えられる作品も各地にある。講談では地元の大工に腕の良さを妬まれて右腕を切り落とされたため、また、左利きであったために左という姓を名乗ったという説等が伝えられている。
- 逸話などでその存在さえも疑われているが、『日本歴史大辞典』(河出書房新社、1977年、原田伴彦執筆)など実在の人物として記述している文献も見られる。
- 足利家臣伊丹左近尉正利を父として、文禄3年(1594年)播州明石に生まれた。父親の亡き後、叔父である飛騨高山金森家家臣河合忠左衛門宅に寄寓。13歳で京都伏見禁裏大工棟梁遊左法橋与平次の弟子となり彼になった。元和5年(1619年)に江戸へ下り、徳川家大工棟甲良(こうら)豊後宗広の女婿となり、堂宮大工棟梁として名を上げた。
- 江戸城改築に参画し、西の丸地下道の秘密計画保持のために襲われたが、刺客を倒し、寛永11年(1634年)から庇護者老中土井大炒頭利勝の女婿讃岐高松藩主生駒高俊のもとに亡命。その後、寛永17年(1640年)に京都に戻り、師の名を継いで禁裏大工棟梁を拝命、法橋の官位を得た後、寛永19年(1642年)高松藩の客文頭領となったが、慶安4年頃(1651年)に逝去。享年58。
- 伝説の彫刻職人・左甚五郎が「甚五郎を継げ」と、枕元に現れたのが、右甚五郎が30歳の時だと言われている。
- 左甚五郎が枕元に現れ、お告げを聞いた右甚五郎は、翌日から彫刻を始めたが、彫刻素人と思えない芸術(彫刻)作品を創作する。
- 左利きの左甚五郎に対し、右利きの甚五郎が、右(みぎり)を名乗ったことは言うまでもない。
- 播州の地で生まれた左甚五郎と右甚五郎。
- 枕元に立った左甚五郎と、枕元に立たれた右甚五郎のふたりの関係が、彫刻を彫り続ける右甚五郎を右甚五郎と命名する。
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| --10sioWikiより抜粋-- |
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(七福神) |
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(三猿)
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| 年に1作品しか作れない!!by 右甚五郎 |
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<< 店主のお薦めサイト >> |

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生島のお庭は,わかばさんにお願いしています。
0120−969−828 |
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